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2006年08月26日

週刊ダイヤモンド

今週号の週刊ダイヤモンドに全国・市倒産危険度ランキングに、
何と、全国約1800の地方自治体の1位に神戸市がでている。
上位なのは、予想していたが、既に倒産した夕張市が2位で294なのに対し、
神戸市は312で群を抜いているのである。また、誌面で問題とされているのは、
破綻の事実でも膨大な借金の額でもない。
奇妙な会計操作を長年繰り返し、
「赤字隠し」を続けいる自治体があることだと書かれている。(破綻した夕張市例)
役所の会計操作は、一般会計や特別会計、そして、外郭団体、第3セクターなど、
いかようにでも操作できる。また、破綻に直面する大型開発では、
おそらく、埋め立てた土地は、売れる見込みがなくても資産に計上されている。

例えば、神戸市でも、
全く売れていなくても(ポーアイ2期や空港島など)資産に計上されたままで、
帳簿上、現金を持っているのと同じ扱いを受けている。(赤字の未確定)
そして、これらを埋める為に作った借金及び元金返済は、常に、延長され、
起債(借金)を繰り返している。また、銀行からの短期借入金を利用したり、
市の持つ売れる資産の売却や基金の取り崩しなどにより現金化されている可能性がある。
利子を払っていくために。。

ダイヤモンドによると、
神戸市の起債の発行が制限される25%を超える26%で全国トップ。
(震災特例で認めてもらっているらしい)
夕張市のように突然破綻の日も近いのかもしれない。

私が、問題と訴えた、利権派議員との癒着、職員労働組合との慣れ合い、開発行政による財政破綻の
1つの側面を示した貴重な記事である。

話は、変わるが、この週刊ダイヤモンド。
なかなか神戸市内では買えない。
もしかして、誰かが、買い占めているのだろうか。

2006年08月21日

毎日新聞神戸支局

毎日新聞の神戸支局長は
永田町でも実力派として名を馳せた敏腕若手である。
昨年、神戸に配属されたので、しがらみがなく、
公平な目で、率直に見ている。
ジャーナリズムに期待したい。
昨日、おもしろい毎日新聞の記事があったので、転載する。

現場で考える 神戸市議汚職と役人の道義的責任=神戸支局・藤田剛
 ◇もたれ合いが温床に
 実力者とか大物と呼ばれる議員の口利きが成功するのは、ひとえに役人がそれに屈するからである。納税者である市民に顔を向けて仕事をしていない証左だろう。神戸市を揺るがせた市議汚職事件を取材した私は、厚顔無恥な役人たちにあぜんとした。神戸地検の捜査は終結したが、道義的責任を含めて、あしき温床は改まっていない。
 最初に断っておくが、私は検察に肩入れしているわけではない。市役所や市議会を目の敵にしているわけでもない。事件の背景を取材するなかで看過できない市の体質に遭遇したのである。
 汚職事件の主役は神戸市政で最大の実力者だった元市議、村岡功被告(68)。彼が市議会で力を持ち始めたのは99年ごろと言われる。同年4月の市議選で、市議を12期務めていた長老議員の落選を機に、村岡被告は議会での支配力を強めていった。
 03年には自民党県連総務会長に就任し、国政選挙の候補者選定権も掌握する。昨年の市長選では選挙参謀として采配(さいはい)を振った。村岡被告はパーティーなどの席で「市も議会も意のままだ」と公言してはばからなかったという。
 汚職事件の舞台は神戸市環境局で、幹部の一人は神戸地検特別刑事部の検事にこう証言したそうだ。
 「職を賭してでも(村岡被告の)要求を拒むべきだった」
 私は、この悔恨を好意的に受け止めた。「村岡被告の要求は支援業者の意向をくんだものと認識していた。村岡被告を怒らせたくなかった」と検事に話した職員もいた。
 もちろん被告の言いなりになった道義的責任は、公務員として免れないだろう。それでも職員らが苦渋の胸中を明かしたのは、事実を白日のもとにさらすことが市の公益につながると考えた結果だと私は思った。
 しかし検察の事情聴取が終わり、役所に戻った職員の言動は一変した。5月18日、村岡被告の要求を受け入れたことを事情聴取で認めていた前環境局長は、市議会で「要綱改定は(村岡被告の)圧力ではない。信念を持って要綱を改定したと(検事に)話したのに調書に書いてくれなかった」と釈明した。さらに市も同月26日に公表した内部調査報告書で「村岡被告の要求に応じた職員はいなかった」と結論づけたのだ。
 私は何度も首をひねった。市職員の対応は、地検の事情聴取には関与を認め、市の内部調査に対しては否定するという、首尾一貫しないものだったからだ。
 その夜、地検の幹部が激怒したのは当然だった。「市はそんなふうにしか説明できないのか」
 検察は市政がゆがめられていた事実を、7月18日の村岡被告の初公判で明らかにした。当時の環境局幹部らの供述調書を朗読したのだ。
 「村岡被告の意向を無視すると、(要綱改定を審議する)環境保全審議会が進まない。意向を踏まえてやるしかないと思った」
 裁判という公の場で、市職員の供述がつまびらかになったのだから、神戸市もさすがに襟を正すだろうと思った。しかし、矢田立郎市長は「検察の冒頭陳述と内部調査の内容に差はない」と強弁を続け、再調査もしないと断言した。
 市は村岡被告の要求に応じなかったという主張の根拠を「有識者や市議らで作る環境保全審議会の答申に基づいて要綱を改定したから、作為性は入らない」と説明する。しかし、地検は審議会の答申案を、市が村岡被告の意に沿うように修正していたことや、村岡被告が審議会の委員だった同僚市議に要綱を厳しくさせる発言を指示していたことを明らかにした。「市民の公益」がどの程度反映されていたか、大いに疑問が残る。
 同僚の3市議も、地検の事情聴取に対する供述と会見での説明は180度異なっていた。3市議は地検の事情聴取では「村岡被告に指示されて質問した」と認め、初公判の冒頭陳述では、村岡被告が3市議に「資料を調べておくように」「がんばって質問してくれ」などと指示した様子が詳述された。ところが記者会見になると、3市議は「自分が疑問に感じたから質問した」と指示を否定した。
 私はこうしたもたれ合いの体質こそが事件の温床だったのではないかと思う。
 今回、多くの市民は市や議会の体質も変わると期待したに違いない。しかし、事件後、市や同僚市議は自らを正当化する弁明を繰り返し、まるで被害者であるかのような言動を続けている。私は取材を通じて、事件は村岡被告だけの問題ではないと強く感じた。村岡被告の度重なる口利きがなぜ成功したのか。その原因を掘り下げないで、どんな再発防止策があるというのか。今のままでは「第二の村岡」が現れかねない、と危惧(きぐ)している。
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 ◇神戸市議汚職事件
 村岡功被告は、地元の産廃処理業者の依頼で、大手のライバル会社が産廃処理施設の設置許可を得られないよう市に要綱改定を働きかけた見返りに計2600万円を受け取ったあっせん収賄罪と、同じ業者の依頼で、市のリサイクル施設の運営委託先を民間業者による公募に変更させ、見返りに200万円を受け取った受託収賄罪に問われている。
 あっせん収賄罪は、公務員が他の公務員に職務上不正な行為をさせることが構成要件。神戸地検は、村岡被告が市に要綱改定を迫ったことを、「職務上不正な行為」の要求ととらえた。一方、受託収賄罪は、議員の職務権限に関してわいろを受け取ることが構成要件。地検は市議団長だった村岡被告が同僚の3市議に議会で質問させたことを職務密接関連行為ととらえた。
毎日新聞 2006年8月21日 大阪朝刊

2006年08月19日

属に言う頭が良い人間が政治をすべきか?

あるお年寄りが、やっぱり、市長は、東大出とか、
学歴が高い人がやらないとね。と言っていた。

そうなんだろうか?

ご存知の通り、私は、平凡な県立高校を卒業して、
関西学院大学と言う平凡な大学を卒業した。
はっきり言って、私より、学齢が高い人は山ほどいる。
世間で言う頭がいい人もたくさんいる。
(別に私は自分を錯覚していなく大したことのないことを理解している)

市役所の職員だって学歴が高く、
世間で言う頭がいい人はたくさんいる。

しかしながら、私はこうした一般にエリートと言われる人々が、
社会を崩壊させていっている気がしてならない。

なぜならば、彼らは、頭がいいから、
人生を、勝つ、負けで判断する。打算で判断する。
頭がいいから、強いものに屈する。無駄な労力を使わない。

これが、私は、社会を壊していると思う。
優秀な人間ほど、本来、正しい、間違っているで判断し、
行動しなければならない。
しかしながら、今のエリート達は、極めて保身的だ。

これでは、時代は変わらない。
これでは、間違ったものが、正しいものに変わることもない。
腐敗を続けるだけだ。
これでは、国が滅んでしまう。

神戸市政でもそうだ。
多くの人が、役所内部でも、市議会与党でも、
多くの矛盾を感じている人は多い。
しかしながら、負ける戦い、ほされる行動はしない。
本当は不満があっても、黙って、陰で、グチを言っているだけだ。

私はこれではいけないと思う。
間違ってるものは、間違ってると、誰かが言わないと、
何も変わる可能性はない。
誰から変えなければいけない。

私は、もともと、政治家になるつもりはなかった。
本来、市役所内部や市議会などから、
良心が働く人間が、正義感をもって、立ち向かってほしかった。

しかしながら、これだけ、市政が行き詰まって、
腐敗していても、共産党に支持される候補者と、
現職しかでなかったのだ。

私は、心の底で矛盾を感じながらも、
沈黙を保っている正当派の市職員や政治関係者に、
いやみで出馬した側面もある。
頭が良い人間はたくさんいても、
勇気、正義感、良心があり、行動できる人間がいない。

今の時代、私は、頭の良い人間を社会は、
求めていない。正義感をもって、例え、負けるとしても、
正論を貫ける人間が必要だと思う。

そして、本当は、何が正しいかなどは、
小学生でも、わかっていると思う。
でも、優秀な大人は行動しない。

市長選挙に出るのはいやだが、
危険をえず、助役や幹部になりたい頭の良い人は
たくさんいる。

戦争に負けてから、この国は、あまりにも、
人の心は、腐敗してしまった。
正しいことに立ち向かわなくなった。
我慢するのが正しいと言われ、誰も、本筋の是正をしない。
これでは、国は滅びる。

人間は本来、矛盾を解決するために努力を繰り返すのである。
終戦から、60年。あまりにも、日本には志の美学がなくなった。
このままでは、国が滅んでしまう。

正しいことを貫いて、
例え、負けてもいいではないか。
その行動を誰かが見ている。
きっと、想いは、それを見た誰かが、成し遂げてくれる。

私たち、大人は、子供たちに対して、
正しい生き方のメッセージを自分達の行動をもって、
示していかなければならない。

子供たちの為に社会や街を、
良い方向に変えていかなければならない。

もう既に、この国は、
バカしか時代を変えることはできないのかもしれない。
残念ながら、優秀な人間は勝ち馬に乗ってくる。
寂しい社会である。

正義感と勇気を持つ人を応援する社会にしなければならない。

2006年08月17日

お上の長?

先日、お上の長を目指すべきもの、もっと、偉そうにと言われました???

私の考えとは大きく違います。私の考えは、
ルソーの社会契約論に「選挙で選ばれる代表者は人民の使用人でしかない」
我が国の憲法では第15条において、「公務員を選定し、及び
これを罷免することは、国民固有の権利である。」とし、第2項では、「すべての公務員は、
全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。
あくまで、市民が主体。住民が社会の主人公で、一番、偉いのです。
つまり、選挙で選ばれる首長も議員も、そして、公務員も、市民に対する執事なのです。
市民は、公共信託を、首長や議員、公務員に行っているのです。
今一度、首長、議員、公務員について、基本的な考え方を直した方がいいと思います。
明治時代の社会主義者である片山潜ですら「都市社会主義」で、市政は会社なり、市長は事務員にして、
市民は株主なりと、自治体企業論を展開しています。
地方自治体は市民を統治するのではなく、
充分な市民が望む「住民サービス」を行うために存在しているのです。
市長は市民から雇われた執事なのです。お上ではありません。
そして、公務員は、企業がそう言うように、
「市民の皆様は神さまです」と言えるようにならなければなりません。
私たちが、汗水流した税金で暮らしているのですから。。

2006年08月13日

内からの改革

本来、改革は内からやらなければならない。
なぜなら、内部にいるものが、腐敗を一番知っているからだ。
どんな組織にも、おそらく、正義感あふれる人はいる。
そうした人々が、志をもって摩擦を恐れず、立ち向かうのである。
役所に入った時に新鮮な気持ち。
議員になった時の晴れやかな気持ちを思い出してほしい。
決して、今の状態が当たり前でなく、
自分の天から与えられた仕事は、
これが、正しいと思える状態に変えることである。
行政も企業も個人も、常にイノベーションを続けなければならない。

汚職事件から続く問題。
空港需要の低迷。
関空と神戸空港との連絡船の低迷。
御影高校跡地の住民訴訟。
神戸市の雲行きは決して良くない。
先日、神戸市の決算状況が発表されたが、
外郭団体や第三セクターとの連結が明確でない。
神戸市の予算は事実上の小会社、外郭団体や第三セクターと密接に
調整されている。これらをいじる事でいかようにも見せかけは作れる。

こんな事は、多くの市職員はわかっていることだと思う。
自らが自浄していかなければ、
あなた達は死ぬ直前、後悔するようになると思う。
せっかく、天から授かった命である。
あなたが、行政に矛盾を感じているのなら、立ち向かってほしい。
真の改革は内から始まるのである。
人間一人の力は無限大の可能性を秘めているのである。

2006年08月06日

指定管理者制度

小泉政権に行政改革の政策の一つに指定管理者制度がある。
文化ホールや図書館などの施設や、公営住宅の管理など、
今まで、行政や行政の外郭団体が行っていた施設管理業務を、
民間会社にも参画のチャンスを与えて、これまで行っていた外郭団体等と
競わせて、委託先にしようという政策である。

先日、ある市で、民間会社が指定管理者になった施設を訪ねてみた。
そこでは、ある広告代理店が企画競争(コンペ)を打ち勝った。
年間の運営コストが、既存の団体より、5000万円近い安い費用を
提案した模様である。そこには、旧知の広告代理店の営業マンが、
社からの辞令を受け、管理者として常勤している。

しかしながら、すっかり、驚いたことは、
すっかり、役人まがいになっていることだ。
管理者としての、特権を得たからか?
或は、営業ノルマが無くなったからか?
俺はお上の一員になったんだと、
利用するお客様の会社を呼び捨てし強気な仕事をしている。
時間が来たら、横柄な口調で、施設から市民を追い出している。

これまで、クライントの○○さんが、○○と呼び捨て。
仕事の態度やスピードもだらだら。
まるで、今まで見ていた堕落した悪いタイプの、
役人になりきっている。環境とは恐いものだ。

どんな世界でも、苦労なしで、収入が入ってくる利権を得たとき、
また、前向き仕事をしないでも、やっていけるようになったとき、
その人の仕事に対する態度は横柄で怠惰になるのかもしれない。
確かに、常に、危機に脅かされてこそ、人は努力するのかもしれない。

しかしながら、彼らは、私たちの税金によって生活している、
いわば、私たちの使用人である。
私たちは使用人を甘やかせしすぎているのではないだろうか。

私たちが払っている税金が、どれだけ苦労をして、払っているかを、
役所で働く中での、怠惰な人々に教えてあげなければならない。

また、施設が指定管理者になったから、経費が安くなり、
良いサービスになるとは限らないことも、改めてわかった。
公務員が悪く、民間が良いのではなく、結局、環境が人を作るのだ。

ふざけた勤務を市民が許す環境がいけないのだ。
恐いことだ。市民がもっと強くなり、公を強く監視しなければならない。

2006年08月05日

正しいことと勝つこと

一人ごとのつもりで書いているブログであるが、
予想以上に多くの皆様が読んで頂いていることに感謝しています。
読んで下さっている人がいる以上、
もう少し、多く書き込んでいこうと考えています。

仕事でも正しいことでも、戦って負ける、或は、戦って損をする場合が、
あります。昔から、負ける戦いはしない方がいいとも言います。

しかしながら、それで、本当にいいのでしょうか?
確かに、どうでも、いいことは、戦う必要もないし。
負けるが勝ちの考え方はあてはまると思います。

でも、人の名誉にかかわる、或は、会社や社会の根幹にかかわる問題は、
勝ち負けや、損得で判断すべきより、
正しい、間違っているで判断すべきではないでしょうか。

考えてみれば、不断、温厚な私ですが、不合理なことに事では、
大会社であろうと、役所であろうと徹底的に争ってきました。
正論よりも、頭を常に下げている方が、得だよとよく言われました。

しかしながら、相手が誰であっても、
間違っている事、不合理のことに関しては、徹底的に血が騒ぎます。

今の日本も神戸も、多くの人が、本当は良くないが、
どうせ戦っても無理。負ける戦いはしない方がいいと
思っている事が多いような気がします。

しかしながら、それでは、会社も社会も、そして、国も良くなりません。
信念に基づく、正義感をもって、たとえ、負けても戦い続けることに
よって、組織も社会も良いものになっていき、
また、私たちが生きている意味もあると思います。

戦いは仮に負けても、多くの人々は見ています。
勇気をもって、多くの人々にメッセージを与えていかなければなりません。

そして、また、戦いは、多くの負けの経験を持つものが、
強くなります。それは、正しいものが勝つために、努力を重ねるからです。

後輩達や子供達は見ています。
私たちは、たとえ負けても、正義の為に、
立ち向かう美学を作っていかなければなりません。

また、重ねて、間違っていいることを反省している者に、
重ねて、ムチをうつようなことも、やめなければなりません。