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2006年07月31日

靖国神社と心の美学

昨日、東京にて、靖国神社に参拝した。
改めて、展示を回ると、
欧米諸国が、アジアに侵攻し、多くの地を植民地化する中、
我が国が、アジアの国々の自立と自由を勝ち取る為に、
戦った戦争であることが、改めて書かれてあった。
肌の色によって、人間が差別されることはおかしい。
そんな思いで、当時、多くの若い兵士が闘い、亡くなっていった。
この国の公を、そして、アジアの公の為に、命をかけて闘った人々。
戦後、60年、今や我が国は、役所の人々でさえ、
公の為に、命をかけることは、程遠く、
多くが、自分と自分を守る組織の為に働いている。
「がまんをして、作業さえこなしていれば、生活は保証してやる」
まさしく、敗戦国の姿である。
名ばかりの民主国家であり、実は自分の意見は言わない方がいいという風潮。
靖国神社には、亡くなられた多くの兵士の写真が掲げられている。
どの目も、光り輝く素晴らしい目である。
彼らが、私たちに何かを語りかけている気がする。

私は、決して、右翼思想でなく、
これからの時代、国境を超えて、堂々と、欧米諸国とも、
そして、アジアの国々の人々とも、意見を交換しあい、
また、共に、友好を深めていくべきだと思うが、
この国の為に、そして、大義の為に、戦った日本人の公への心の美学は、
私たち、後輩は決して、忘れてはならないものだと思う。

「死」

この2月間で、二回の葬式があった。
いずれも、40代の男性である。
人の死とは、本当にはかないもので、
また、突如やってくる。
先日、葬式に行かせて頂いた方は、
前日の夜まで、会社で普通に会議をしておられ、
翌日、交通機関の中で倒れられたそうである。
脳内出血。
まさか、直前まで自分が突然死ぬとは思っていなかったであろうし、
家族を始め、回りの方々も死を想像もしていなかったと思う。
心からお悔やみ申し上げます。

以前、私は尊敬するある経営者から印象に残る言葉を聞いた。
「迷ったら必ずやる」〜私もこの言葉を受けて、
「無理してでも、できるときはやる」と言う言葉を
自分に言い聞かすようになった。
〜無理をしたくてもできない時にはできない。
また、死んでしまったら、絶対にできない。
無理をしてでも、「できる」
それは、人生とって本当に幸運な一瞬なのであろう。
この世に幸運にも生を受けた者として、
いつ死んでも悔いのないよう、これこらも人生を大切にしたいと思う。
亡くなられた人の分も、良い社会を創るために、がんばらねばならない。

2006年07月23日

勝敗は自分との闘いで決まる

先日、私が務める神戸市の公職の関係で、
市職員から神戸市長と語る会の組織動員を頼まれた。
私に頼むことに、一部、周りの人は気を使ってくれたりするが、
私には、何の躊躇もない。
そんな事で、躊躇するぐらいの小さな心臓だったら、戦っていない。
また、立場的に公職についている以上、職務を果たすことは当然である。
現職市長に対しても、個人的には、別に恨みもない。
私は、一人の納税者として、今の市政のあり方が正しくないと、
思ったから、自分の意見を市民に訴えて問うたのである。
おかしいと思っても、そのことに直視せず、
何も解決に動かないことに、自分の人生の敗北感を感じ、
これでいいのかと自問し、勇気をもって自分の意見を、
主張したのである。つまり、敵は自分である。
私も、実は、自身の仕事を通じて、現職市長とは、
過去に名刺交換も行い、何度も顔をあわしてきている。
神戸市の数々の問題点を、もっともわかっているのは、
現職市長かもしれない。
しかしながら、しがらみ等で動けないのである。
温厚な公務員であったはずの、現職市長の人相が、
どんどん悪くなっているような気がする。
個人的にはお気の毒である。
私も、官僚出身なら、ああなっていたかもしれない。
早く解放してあげたいとも思う。

しかしながら、それではいけない。
今、尊い一人の人間の命を全うするものとして、
この際、ぜひ、勇気をもって、
真の市民の為の市政変革を実現してもらいたいものである。

名も看板もない一人の若造ですら、自分との戦いに打ち勝ち、
勇気をもって、立ち上がったのである。
全ての、敵は自分である。

2006年07月22日

真の住民自治を目指して

先日、ある人から、松村さんか革新だからね・・・と言われた。
私には、全くそのつもりはない。
むしろ、言うなれば新保守。
(だから、当然、革新政党とも融和できない)

今までの保守政治が、市民の上に官があるとするならば、
私は、市民の下に官が来る保守社会を実現したい。
あくまで、市民や住民が主役。
役人は公僕でいい。

私は、仕事の関係から、
長く行政の実態を見てきた。
その結果、多くの行政では、参画と協働など言いながら、
実質的には度が過ぎるぐらい市民を軽視している。

一緒懸命活動する市民団体には表面ではペコペコし、
財政難と言いながら、数万円ぐらいのお金しか補助せず、
一方で、大手広告代理店に数十億円の発注をし、
また、大手建設会社に百億円単位の発注をし、
そうした会社の役員クラスにふんずりかえるエリート役人達。

また、時には官官接待で一回に百万円近く使い、
高級ワインや高級フレンチのコースをふるまう姿。
いずれも、私が暮らす市で、見たものである。

実を言えば、私もそうした役人達に
長く頭をペコペコしながら、
こうした仕事をもらってきたし、今ももらっている。
(残念ながら、神戸市からは皆無になったが(笑))

しかしながら、これが、本当に役所のとって正しい姿か、
矛盾とわかりながら自分の人生をこのままにしていいのかと、
自問するようになった。役人の中にも自問している人がいるかもしれない。
役所のお金は市民が汗水たらして払っている税金なのである。

役所でも、区役所や出先機関、また、教育現場の方々は、
多くが、厳しい財源の中で苦労しながら活動をしている。
一部のエリート職員達が浪費を繰り返しているのである。

実は役人が悪いのではないかもしれない。
市民や住民が弱いだけかもしれない。

私は、阪神淡路大震災を経験した神戸から、
真の市民主体社会を実現したく考えている。
私の人生の後半の課題である。

2006年07月16日

すがすがしい思い

先日、ワシントンの年下の友人からメールをもらった。
東大をでて、総務省の官僚となり、現在、ワシントンの大学院に留学している。
中々、豪傑で、マナーもよく、志をもった将来が期待される青年だ。
前にも、述べたが、地方の中途半端な役人ほど、態度が横柄で、
自己錯覚し、また、自信の被害妄想に落ちいる傾向が強いと思う。
彼は、中央官僚でありながら、中々、素晴らしい人物だ。
彼のメールにも、人格教育はやはり親が大切だと書いていた。
改めて、社会の親達の責任を考え直さなおさなければならない。
いい塾に行かせて、いい学歴を取らせることだけが、親の責任でないことを。

また、この夏、東京に行く度に、交流を重ねていた財務省の室長がパリ勤務になった。
この人物も、大変、社交的できさくな人物である。
律儀にも、早速パリからメールが来た。きめ細かい心遣いに感心する。

また、先週は、別の財務省課長のシンガポール転勤送別会に出席したが、
この課長は、夕張市の事例を取り上げながら、
心から、地方自治体の腐敗を嘆いていた。
これらから、同じような事例が増えるていくと。。。

そして、また、早速、この方からも私への激励のメールを頂いた。
いい学歴、経歴を得ながらも、こうしたやさしさがある人たちに
接すると、心がすがすがしい思いになる。

2006年07月14日

人格教育は誰がするのか?

先日のセミナーでいい大学を卒業しても、
人格は決して磨かれないという話があった。
私は、社会でて、20年余りの歳月を得て、
人間は学力より、人格、マナー、道徳感がとても大切だと思う。
バランス感覚をもった紳士に会うと、本当に気持ちがいい。
そして、自分もああなりたいと思う。
一方で、高学歴な人に出会っても、
社会人としての常識にかけている人に良く出会う。
いくら頭がよくても、可哀相な人と思ってしまう。
いったい今の社会では、誰が人格教育をしてくれるのであろうか。
結局は、親の教育なんだろうか?
やさしさや、マナー、道徳観、前向きさがない人間に何ができるのだろうか?
かばってあげるならば、本人は悪気がないのかもしれない。
先日、ある学生達とある若い大学教授を訪ねた。
裸足になって、机に両足を乗せて、こちらに足裏を向けて、
鼻くそをほじりながら私たちに話をしてくる。
自分はそんなに偉いと錯覚しているのだろうか。
それとも、自信がないから、虚勢をはっているのだろうか?
学生達は、あの先生、企業勤務経験もあるのに。。と、
不思議がってあきれていた。
役所にも、こうしたマナーに欠如した人を多く見かける。
この国の将来が本当に不安になる。

2006年07月12日

The contining Challenges

先日、米国の保守派市民運動の先駆者であり、
ワシントンの有力ロビンストであるモートン・ブラックウェル氏のセミナーを受講した。
一番、印象に残った言葉は、The contining Challenges
チャレンジを続ける人生。優等生でなく、過去、あらゆる面で失敗を繰り返しながら、
成功も得てきた私にとっては、印象に残る言葉であった。
それにしても、米国の保守系市民運動は強烈だ。
徹底した情熱をもって自由主義を獲得してきている。
私たち、日本人も、役所や官僚を批判するだけでなく、
自分達ももっともっとパワフルに行動しなければならない気がした。
レーガン大統領の特別顧問としてホワイトハウスにも勤務した経験をもつ
モートン氏の言葉に、政府に問題の解決を求めてはいけない。
なぜなら、問題のもとが政府だからだ。という言葉があった。
真の自由主義を求めるためには、もっともっと能動的に行動しなければならない。
また、大きな政府を求める革新思想では、税金が増える。
税が増えれば、ますます、役所の力が強くなり、自由がなくなる。
世界が変わって、国が変わっているのだから、
私たちも今、変わらなければならない。
私も、この神戸から、保守系の民間人の市長を作る為に活動を強めていきたく考えている。
小さな政府、自由な生活、安全で安心な毎日、そして、日本人の文化である道徳観を守っていきたい。
決していい大学を卒業したからと言って、いい人格者にはなれない。
人格はさまざまな経験から築かれてくるものである。
心新たに神戸から日本を変える草の根運動を広げて行きたい。